帝人奨学会

活動報告

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文化の違いや言葉の壁を恐れず、海外へ進出しよう
澤本 光男様(京都大学大学院 教授)

澤本 光男様(京都大学大学院 教授)

川合 眞紀様(理化学研究所 理事 東京大学大学院教授)

川合 眞紀様
(理化学研究所 理事 東京大学大学院教授)

横山 若手研究者の教育や海外への進出についてお伺い致します。

根岸 私が常日頃から申し上げているのは、「若者よ、海外に出よ」ということです。これは帝人の大屋元社長から伺い、私も大きな影響を受けた言葉ですが、今や研究者にとって国境はありません。世界各国で活躍できるのです。どこで最新の研究が行われていて、目標を達成するために必要な場所はどこなのか。これをしっかりと自らに問うべきです。確かに語学力や食文化など、私も海外に出たばかりの頃は苦労しました。しかし、毎日朝から晩まで英語に触れ続けることで、理解できるようになります。語学力、とくに英語力を身に付けることで、世界の研究者と対等に話ができ、自分たちの活躍のフィールドが広げられます。小学校で英語教育を取り入れたことは、とても素晴らしいと思います。

澤本 日本では過去、遣唐使や遣隋使を利用して、海を越えて知識や文化を国内へ伝達し、近代医学ではヨーロッパに多くを学んだ歴史があります。私たちが学生の頃までは、自ら海外へ出て多くを学びたい人が多かったのですが、現在は、手厚い留学制度などが国や学校から用意されているにもかかわらず、年々海外留学を志望する学生が減少しています。さまざまな国の人たちと交流し、研究だけではなく言語や私生活などの文化の違いを肌で感じ、人として一皮むける。それが研究者としてステップアップするために必要だと思います。
 吉田先生は「海外で自分の研究を認めさせることが必要」というお話をされていました。そうなると海外の研究者と交流する機会が多いと思いますが、文化交流の点ではいかがですか。

吉田 海外で博士の学位を取得し、米国でポスドクをしていたので、さまざまな研究室で多くの国の人と接する機会がありました。やはり私生活において文化の違いを感じることは多かったです。そして実は、それが研究に対してのアプローチの違いにあらわれていたんです。海外で研究し、文化の違う研究者と議論を重ね、そしてさまざまなアプローチ方法を学んだことは、大変貴重な経験です。とくに私が研究している宇宙や素粒子の分野は、「ビッグサイエンス」と呼ばれ、多いときには一つのプロジェクトに約2,000人の研究者が関わります。世界の研究者との共同研究が避けられない環境に置かれている現在、これまでの経験が非常に役に立っています。

横山 私もロシア人やアメリカ人、中国人など150人を越える研究者と大部屋で議論を交わしたことがあります。文化も言語も違う。そんな環境の中、一つの答えを導き出す難しさを感じました。これからの研究者は、そのような環境が当たり前になってくると思います。

川合 確かに学問の視点から見ればグローバル化は避けては通れないと思います。しかし、日本の国としてどこまでグローバリゼーションを実現できているのでしょうか。留学をしたいが、3〜4年留学した後、果たして民間企業への就職は叶うのか、どのような働き方ができるのかわからないなどの不安要素が多く、なかなか留学を決断できない学生が多いと感じています。産学官が三位一体となって、帰国後の学生の企業の受け入れ体制を整えなければ、若者の海外進出を今まで以上に増やすことはできないと思います。アジア各国、とくに中国を見習い、海外で学び、技術を国へ持ち帰って活躍する。そんな制度を整えるべきです。

澤本 私も同感です。考えなければならないのは、語学の教育。小学校から英語の教育を始めるのか、まずは日本語を学ぶべきなのか、意見が分かれるところだと思います。しかし、最も大切なのは上手に英語や日本語を話せるかではなく、相手と同じレベルの研究に対する知識や技術を身に付けることです。そして、その内容を恐れずに相手に伝える。拙くても思いは伝わりますから。

横山 企業における若手研究者の活用についてはいかがでしょうか。

近藤 帝人で働く若手研究者については、海外有力大学や研究所への短期留学を積極的に行っています。現在、企業側が考えなければならない課題は、ポスドクをどう受け入れるか。企業側は、専門分野に限らず、さまざまな分野でポスドクの知識や技術を活かせる方法を考えなければなりません。また、ポスドクの方も、一つの企業で自分を活かし続ける道だけではなく、今後のキャリアを見据えて経験を積みながら、専門性を広げていく考え方も必要ではないかと思います。

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