SOLUTION

世界を支えるソリューション 05

先天性心疾患の患者さんの
クオリティ・オブ・ライフを向上する、
心・血管修復パッチ「シンフォリウム」の開発

SUMMARY

帝人グループの素材技術・知見を活かして心・血管修復パッチ「シンフォリウム」を開発。先天性心疾患の患者さんのクオリティ・オブ・ライフ向上に貢献。

DETAIL 01

帝人グループの技術と知見で、
前例のない手術用医療材料の開発に挑む。

 先天性心疾患とは、生まれつき心臓やその周辺の血管に欠損部や狭窄部が存在する疾病です。多くの場合、患者さんが新生児や幼児のうちに、血行動態を改善するためにパッチ状の医療材料を用いて欠損部を補綴したり狭窄部を拡大したりする手術が行われるのですが、子供たちが成長していく中で、埋植したパッチが異物反応を受けて劣化したり、サイズが合わなくなったりして、手術部に狭窄が発生することがあります。そうなると、パッチを交換する再手術が必要となり、患者さんやご家族に大きな負担がかかってしまいます。この状況を何とかしたい、と考えた大阪医科薬科大学の根本慎太郎教授が、「自分の組織に置き換わることで、患者さんの成長と共に伸張するパッチ」のアイデアを打ち出しました。その後、福井経編興業が吸収性の糸と非吸収性の糸で編み上げた特殊な構造の経編(ニット)を開発したことで、成長とともに伸張するパッチの構想が固まりました。

 その頃、帝人グループでも、私たちの素材技術や知見を特殊な性能や高い品質が求められる医療材料に活用したいと考えていました。そんな折、大阪医科薬科大学と福井経編興業の取り組みを知り、この製品の開発ができれば患者さんの生活の質を向上させられる、という強い思いの下で、プロジェクトに加わることにしました。とはいえ、帝人グループには手術で用いるような埋込型医療材料を開発した実績がありませんでした。私はプロジェクトマネージャーとして参画しましたが、製造管理のコンサルタントに、「経験の浅い企業がリスクの高い医療機器の開発を始めるのは、Tシャツを着てエベレストに登ろうとするようなものだ。」と言われたこともありました。その言葉通り、10年にわたる長い挑戦の日々が始まりました。

DETAIL 02

専門知識と熱い想いで、
理想のパッチを実現する。

 私たちがまず取り掛かったのが、経編に組み合わせて漏血を防止する膜の開発です。このための素材は多くの条件を満たす必要がありました。組織の成長を促すための理想的な足場になる材料でも、硬すぎれば手術時に縫いにくいうえ、心臓や血管壁の変形に追従せずパッチを縫着した後に血液が漏れる心配もあります。そこで、生体組織とマッチする硬さで、縫合後の血液の漏れ・血栓を防ぎ、かつ細胞が生着する素材で、医師の繊細な作業を可能な限り容易にするものという、多くの要求を満たすことのできる素材の探索に取り組みました。

 縫合後の血液の漏れを防ぐ素材として、様々な生体吸収性ポリマーを試してみました。しかし、なかなか柔軟性と耐圧の両立ができず、手術で使えるものにはなりませんでした。その後も、組成を変えながら検討を続けましたが、うまくいきませんでした。そこで目を付けたのが、当時すでに人工血管に使用されていたゼラチンとコラーゲンです。これらは架橋という化学構造を作る条件を調整することで分解期間などの物性をコントロールでき、血栓もできにくいという、理想の素材でした。ただし、ゼラチンは架橋だけで十分な強度を持たせようとすると硬くなってしまうため、柔軟性を保持できるようグリセリンを加えるなど工夫をしました。1年の検討を経て、理想のパッチを実現する材料選定と基本的な加工方法を作り上げました。

DETAIL 03

実用化に向けて粘り強く
地道な努力を重ねる。

 研究開発では、これまでにないものを発明する初期の段階にスポットライトがあてられがちですが、製品を世の中に出すためには、その後のデータの地道な積み重ねに基づく改良がより重要です。心・血管修復パッチの開発では、試作品の機能を評価するための試験系の構築も必要でした。前例のない手術用医療材料のために製品評価の方法を定めていくことは困難を極めましたが、根本教授に手術でのパッチの使い方をレクチャーしてもらったり、繊維製品の規格を参考にしたりするなどして、製品に必要な特性を確認することができ、かつ、再現性のある評価系を構築しました。また、実用に向けた試作品の改良と製造プロセスの確立にも取り組む必要がありました。ここで最も困難だったことは、血液の漏れを防ぎ、パッチの柔軟性を保つゲル層の配合の改良でした。当時の試作品では、パッチを水に濡らすと丸まってしまうため使いづらいという課題がまだ残っていました。適切な比率のゼラチンと架橋材、グリセリンの配合を定めて、さらに製造の再現性を確保するのは、調理と味見を何度も繰り返しながらレシピを微調整するようなものです。試行錯誤を繰り返し、2年越しで完成させました。

DETAIL 04

のべ50名を超えるメンバーの活躍と
周囲の支援により、ついに製造販売承認を取得。

 シンフォリウムのような新しい医療機器の承認には、非臨床試験だけではなく、臨床試験(治験)で得たデータが必要です。治験では患者さんに試作品を使用して手術をするため、試作品といえども市販後と同等の品質を確保することが求められます。そこで次のステップとして、治験用のパッチに必要な製造・品質管理システムの構築に取り掛かりました。埋込型医療機器を製造する施設では、クリーン環境を作るための特殊な空調などが必要であり、また、製品を滅菌された状態で提供することが求められます。帝人グループで初めて経験する埋込型医療機器の製造ライン立ち上げに向けて、試行錯誤を繰り返しました。

 並行して、治験を実施する医師や施設との関係構築も進めました。帝人で埋込型医療機器の治験を行うのは初めてでしたが、過去に実施してきた医薬品の治験に関するノウハウを活用することができました。また、不足している小児向け医療機器の開発に力を入れていた小児循環器学会からシンフォリウムのコンセプトに賛同を得て、治験への協力を得ることができました。さらに、開発品の画期性と有効性が認められ、2018年には先駆的医薬品等指定制度の指定を受けることができ、これも開発への大きな後押しになりました。

 チームの大勢のメンバーの強い思いと努力に加えて、周囲の関係者からの応援も受けて、2019年にとうとう治験を開始することができました。自分たちの開発した製品が実際に手術で使われて言わば患者さんの身体の一部となることに対し、必要なことはすべて実施してきたという自信と、それでも何かあれば大変なことになるという緊張の混ざった、何とも言えない感情を覚えました。しかも、治験の実施中に新型コロナウィルスが流行し、医療機関のリソースが大幅にコロナ対策に振り向けられる中、手術も見合わせられるようになり治験が一時停滞するなど、最後まで気の抜けない日々でした。しかしながら、より良い医療材料を求める医師や学会の協力のもと、チームで粘り強く着実に取り組み続けた結果、2022年2月に治験を完了して、2023年7月にようやく製造販売承認を取得しました。

DETAIL 05

世界中の子供たちの
クオリティ・オブ・ライフ向上を目指して。

 医薬品、医療機器では、世界で初めて規制当局の承認をとった日が「国際誕生日」と呼ばれます。「シンフォリウム」の国際誕生日は7月11日です。一人、大切な子供が増えたような気持ちがします。まだ「シンフォリウム」はよちよち歩きの赤ん坊ですが、これからも大勢の人に関わってもらうことで、製品として順調に育って、世界中の子供たちの生活を守り、クオリティ・オブ・ライフの向上につながることを、チーム一同願っています。

 「シンフォリウム」の開発は学びの連続でした。ここで得たものを活かして、さらに、社会の役に立つ医療機器の開発を進めていきたいと思っています。また、帝人グループ内外の多くの人と開発を通して知り合うことができました。これを読んでいる皆様とも、ご縁があれば、いつか、一緒に価値のある仕事をできればと思います。